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反射炉をめぐるお話

反射炉の断面
反射炉の断面
もうはるか昔のように感じるが、「明治日本の産業革命遺産」として、韮山反射炉、三池炭鉱、旧集成館などが2015年に世界文化遺産に登録された。
世界遺産に登録された理由として、欧米諸国以外が近代化しようとすると欧米諸国の技術者を呼んで近代化するのが普通だが、日本は鎖国中であり技術者を連れてこられず、書物だけを見て、見よう見まねで反射炉を建造したという理由が一つある。

今回は佐賀と鹿児島の反射炉をめぐるお話。

佐賀の反射炉

そもそも反射炉というのは、石炭などの燃料を燃やした熱を「反射」させて集めて、集まったところに原料を入れて、溶かして大砲を作るというものだ。
世界遺産に登録された反射炉の中では韮山反射炉が一番有名だと思うが、それは当時実際に使われて、また現存する世界唯一の反射炉だからだろう。
ただ、日本最初の反射炉は佐賀藩によって作られた。 佐賀藩は長崎警備の責任者として、フェートン号事件(イギリスの軍艦が勝手に長崎に入ってきて好き勝手されて取り逃がした事件)などがあり、長崎の防衛を強化するために近代化を進めた。藩主は鍋島直正である。

佐賀と鹿児島の関係

さて、世界遺産に登録された鹿児島の旧集成館にも反射炉跡があるが、集成館の反射炉は佐賀藩から技術を借りて作った。すると、佐賀藩ではなかなか上手くいかなかったが集成館ではうまくいった。
そこで佐賀藩の視察団が薩摩藩にやってきて、図面などをスケッチして帰っていった。
こういうことができたのは、佐賀藩主の鍋島直正と薩摩藩主の島津斉彬はいとこ同士(母が姉妹)であったから。藩を超えて情報のやりとりが行われた。
なおその後集成館は薩英戦争などで焼かれてしまい、今残っている集成館の資料は佐賀藩が持っていたものである。
そして2020年、鹿児島県で開催されるはずだった日本のスポーツの祭典である国体だが、これはコロナの関係で延期になった。いつ延期するかという話になったが、最終的に2023年になった。この年は佐賀で行われるはずだったが、佐賀が2024年に延期する(24年の予定だった滋賀は25年に。順送りする)ことでどうにかめどが立った。
このように、佐賀と鹿児島は今でも深い関係にあると思われる。

集成館の大砲の作り方

反射炉の断面
大砲
集成館の大砲の作り方だが、まず質のいい鉄を用意し、それを溶かして鋳型に流し込む。
なお鉄を溶かすための熱源だが、石炭がないので、白炭(木を高温で焼いたもので木炭の一種)というのが燃料として使われた。その白炭を作るために、寺山炭窯が作られた。
豪雨の土砂崩れで壊れてしまい、現在、復旧のついでに調査している。
そして大きな鉄の円柱を作った後、中心をくり抜いて砲身を作る。10tの鉄の塊から2、3トン削ったようだ。
大砲の中をくり抜く際の装置の動力として、水車が使われる。集成館の裏側から水路を引き、7~8㎞の水路が作られた。高低差はわずか10m程度。かなりの精密な測量技術があった。関吉の疎水溝として世界遺産の一つになっている。
なお、くり抜かずに中子(型をとるもの)を入れる作り方ではダメらしい。鉄は空気に触れる方から固まっていき、不純物が最後に固まる。
だから中子を入れてしまうと砲身の部分に不純物がたまってしまい、暴発の危険がある。
最後に、集成館の反射炉だが、鉄が溶ける温度で作られているので建物は耐火レンガじゃないといけない。これに薩摩焼の技術が使われたようだ。


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