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島津斉興

ビクトリア女王相手に呪いを使おうとした大名 ~島津斉興~

幕末に入る少し前の1830年代以降、琉球に外国船が来航するようになり、開国を求めるようになる。琉球は薩摩藩のものであり、薩摩藩にとって重大な問題だった。琉球貿易が危なくなるかもしれないという背景もあったかもしれない。
そこで島津斉興(島津斉彬の父)は密教の最高位のお坊さんになった。密教は空海で有名だが、まじないの側面がある。まじないで外国船を打払おうとした。
斉興はイギリスの首相のパーマストンとビクトリア女王に呪いをかけた
ビクトリア女王はイギリスの金貨に彫られていたのでそれを使って呪い、パーマストンは絵にかいて呪ったそうだ。
さらに、薩摩半島南部の指宿というところにある揖宿神社を新しくした。「敵国降伏」と書いたものを奉納するなどしたそうだ。その言葉は蒙古襲来の際、天皇が福岡の筥崎宮(はこざきぐう)に書かせた言葉で、まじないで敵を退散させるという意味。
結局、戦後になるまで、「まじないが通じる」という日本人の感覚は抜けなかったような気がするが、どうだろうか。

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